今では、地震が起きるとわずか3分で震度速報が発表されるようになりました。
これ当たり前だと思っていませんか?
しかし、実はこれ、ここ20年くらいだけのことなんです!
震度の歴史
1898年
今の震度の起源は1898年にまでさかのぼります。この時は「微震(感覚ナシ)」「微震」「弱震(震度弱キ方)」「弱震」「強震(震度弱キ方)」「強震」「烈震」という7段階でした。今の震度のイメージとはずいぶん異なりますね。
分かりやすく整理すると
「微震(感覚ナシ)」震度0
「微震」震度1
「弱震(震度弱キ方)」震度2
「弱震」震度3
「強震(震度弱キ方)」震度4
「強震」震度5
「烈震」震度6
そして今となっては信じられない話ですが、震度はこのころ気象台の職員が体感で決めていました。気象台の職員が自分の体感と、建物などの被害状況から震度を決定していたのです。
1936年
1936年になると次のように震度の表現が変わります。
「無感」震度0
「微震」震度1
「軽震」震度2
「弱震」震度3
「中震」震度4
「強震」震度5
「烈震」震度6
しかし、このころもまだ、気象台の職員が体感で震度を決めていました。
1947年
1947年になると新しい震度が加わります。「激震」です。激震と聞いてもピンとこないと思いますが、これは烈震のさらに上、今の震度7に当たる部分です。これは前年の1948年に起きた福井地震で震度6「烈震」の中でも、特に被害が大きな地域があり、「烈震」だけでは正確な表現ができないという指摘から生まれました。
これで震度は
「無感」震度0
「微震」震度1
「軽震」震度2
「弱震」震度3
「中震」震度4
「強震」震度5
「烈震」震度6
「激震」震度7
となりました。
ところが、このころになってもまだ震度は気象台の職員が体感で決めていました。さらに震度7は職員の体感ではなく現地調査で「家屋倒壊率30%」という基準で決められていました。
体感観測の問題点
しかし、次第に様々な問題が浮かび上がってきました。
まずは、気象台から委託を受けて震度を観測していた「委託観測所」の大幅な減少。最も多い時で1500ほどあった観測所は、1964年には150か所余りにまで減少してしまいました。
そして最大の問題は、「人によって決定する震度が違う」というものでした。そして、このころは、翌日になって被害を確認してから震度が変更するということも当たり前のように行われていました。
1994年
この問題を解決するため、1985年から検討が行われてきた「震度の計器観測」が1994年、本格的に始まりました。ようやく震度の「体感観測」の時代が終わりを告げたのです。
しかし、震度7だけは「家屋倒壊率30%」という基準が残され、1995年の阪神淡路大震災でも現地調査によって震度7が認定されました。
1996年
「震度の計器観測」が本格化した翌年の1995年に発生した阪神淡路大震災では震度が同じ場所でも被害に大きな差があることが判明し、「震度5弱」「「震度5強」「震度6弱」「震度6強」が誕生しました。
この時、これまでの「強震」「烈震」という表現がなくなり
震度0
震度1
震度2
震度3
震度4
震度5弱
震度5強
震度6弱
震度6強
震度7
となりました。そして震度7も計器によって観測されるようになり、現在の震度になりました。
以上が震度階級の歴史でした。いかがだったでしょうか?意外と最近まで震度を体感で決めていたことに驚いた方も多いのではないでしょうか?現在の「3分で震度速報」というのは技術の飛躍的な進歩によるものだったんですね。